朝野家スタッフのblog

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【 あの日と同じ夕焼けの中 】

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22日、『夢千代日記と母』の神戸新聞を読まれた愛媛大学の和田教授が、広島と被爆の話を聞きに息子さんと泊まりに来てくれました。
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湯村の観光と朝野家の話も聞きたいと面談を希望されたのでご挨拶にあがりました。
・朝野家の原点は?
・朝野家の経営は?
・朝野家の歴史は?
・社長はどの様な人生を?
・人生観は?
・子育ては?
えぇ〜母でなくて、私なん???
青年団長していた父は、青年団と4Hクラブの推薦を受け当時として全国最年少の町会議員をしていた。議員仲間の湯村大手旅館の経営者から見込まれ株式会社化に携わり、専務として旅館の本館を任されていました。
その後色々大変な時期を人縁、持ち前の運やバイタリティーで乗り越え、会社全体も軌道に乗り、息子さんも帰ってきたのを機に、円満退社をさせて頂き、1年間仕事もせず浪人生活をしてました。
旅館の10畳一間から住宅金融公庫で借金し鉄筋3階建て新築の家に移り、初めて家で家族4人が一緒に食事を食べたり、子供たち2人に部屋も作ってもらえた。お客様の目を気にする旅館でなく、庭のある自宅に学校から帰った。それだけで子供には凄く幸福に感じてた。
6年生の夏休み最終日、夕日の中で父と嫌々の庭の草抜きの最中。突然父が「泰昌、もう一度旅館をやろうと思う!いいか?」
6年生の私にだ!!
ジィ〜と見ている大好きな父に「うん」としか言えなかった。父は私に言いながら、自分で腹を括ったと悟った。「朝野家」の前名「湯村観光ホテル」18室の旅館が誕生した瞬間だった。
父に教え込まれたのは「約束と時間は守れ、公私混同をするな!会社は社長のものでは無い」だった。
教授に父との人生を話したものだから・・・。
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・・・そんな事を思い出しながら、夕方までかかった自宅の草抜きを終えた。
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父の建てた昔の自宅は旅館に取り込まれ、4年前に父の思い出の場所に、3世代で住もうと建てた家。入院中の父は一度も入れなかったのが悔やまれる。
あの日と同じ夕焼けの中、一人で草を抜いた。

by asanoyayu | 2021-09-24 07:00 | 旅行・体験日記