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/// 朝野家のルーツは関東武士・源氏の流れを汲む ///



会長の四十九日の時、従兄から「以前、会長に朝野家の家系図を見せてもらったんだけど、出来たら写真かコピー取りたいんだけど・・・」と言っていた。私も見た記憶があり、母に聞いて父親の机近辺を探してみた。

「あったから、何時でも着て下さいね。」

従兄は私より早く母の所に来ていて、家系図を眺めている。写真コピーを元に現代風に解り...やすく三十三代目まで書かれています。


朝野家(あさのや)の真南に白豪山(通称・城山)があり、今見ても頂上が削られて平らになっています。その麓には歌長(うたおさ)という集落があり、そこで私達の先祖は過ごしていたと温泉町の町史本に書かれています。




山陰の海岸には源平の乱で敗れた平家の一門が住みついている事が多いが、朝野家(奈良九郎)のルーツは、もともとの奈良家で現在の熊谷市に居を構え関東武士と伝えられている。 成田氏の祖である助高の子三郎高長が奈良氏を称しており、保元物語では鎮西八郎為朝との戦いである白河夜討の条に源義朝の従兵として登場します。



朝野家(あさのけ)は鎌倉時代、文治元年(1155年)温泉城の初代城主と伝えられる奈良九郎太郎源宗光の後裔で、「天正9年6月19日羽柴軍の覇行で城落、歌長村へ蟄居して民間にあり」と温泉町郷土読本にもあります。



また、温泉町史にも「これより先将監は落城のまぬがれ難きを知り十四日の夜奥方若君女中を歌長に落したので、その子孫朝野氏を名乗り今日に及んでいるという」 。



朝野家文章も「右近将監ノ難立世ヲ憚リ姓ヲ替へ奈良ヲ朝野ト改姓シケル之レヨリ土民トナリ朝野五郎左衛門孟重ト改ム」とあり、奈良姓から朝野姓に、武士から農業をするにいたったのです。 朝野家(あさのけ)の菩提樹のある寺は、新温泉町熊谷の善住寺で、地名の熊谷(くまだに)は奈良家の本拠地の熊谷(くまがや)に因んだものではないだろうか?と想像してしまう。



先祖代々、続いてきた命、次にしっかりと繋がなければと二人でルーツの花を咲かせた。従兄と会長との会話に感謝です。



朝野家(あさのや)がお城の形をしているわけは、こんなところにあったんです。 1155年に関東熊谷から湯村の地に移って、源氏の朝野家(あさのけ)は今36代目になっています。


by asanoyayu | 2018-05-04 13:10 | 旅行・体験日記